令和7年1月20日に大阪高等裁判所で、とある交通事故の賠償問題に関する判断が示され、報道に乗りました。後日、南日本新聞の社説にも載りましたし、2月5日、その高等裁判所の判断が確定したという速報もネット上で流れました。
Q どういった内容だったのでしょうか?
A 約7年ほど前の交通事故です。不慮の交通事故に遭って亡くなられた当時11歳の小学生。損害賠償の話ですね。賠償金額の算定が問題となります。
高裁は、その子の将来の可能性を無碍に否定すべきではない、減殺すべきではないというような判断をしました(もちろん、高裁はこのような表現を使ってはいません。あくまでイメージとして捉えてもらえれば・・・)。
そのお子さんには、先天性の聴覚障害(補聴器を付けなかった場合は高度難聴)がありました。賠償金額の算定にあたって、この先天性の障害があったという1つの事実を、どのように捉えるべきかという問題について、一石を投じる判断をしました。
法律上の言葉を使いますと、そのお子さんの逸失利益、事故に遭わなければ、亡くならなければ将来社会人になって得ていたであろう予想収入額。この算定の問題です。
Q この件が、一つの大きな報道になった理由はどこにあるのですか?
A 前提となる大阪地裁と今回の大阪高裁の考え方を簡単に比べてみます。
大阪地裁は、” 日本で働く全労働者の平均賃金に比べ、聴覚障害のある労働者だけでみた平均賃金は一般的に下がる。これを踏まえると、この11歳のお子さんの将来の収入は全労働者平均収入の85%とすべき” と判断しました。
これに対して、大阪高裁は “ (子どもの将来の収入は)原則的に全労働者平均収入で計算すべき。何パーセントかでも減額することが許されるためには特別な事情(「顕著な妨げ」となる事情)が必要 ” とした。で、本件のお子さんの場合には、あえて減額する必要はないよね。という結論を出しました。
Q 結論だけ聞くと、大阪地裁の判断は、残酷に聞こえますよね??
A この子の将来の可能性は、最初から85%(つまり15%減)で考えるの??という点ではそう感じます。
大阪地裁も、このお子さんの今まで努力や能力や積極性はきちんと認定してくれています。コミュニケーションツールの発達や社会環境の変化も踏まえれば、将来、普通に働ける可能性が十分にあったよね、とは考えてくれてるんですね。
ただ、従前からの暗黙の運用が1つの障碍ではあったと思います。
Q その従来からの考え方とは?
A 賠償実務において、事故に遭ったことにより後遺症が残った場合、論理的な流れとして、こういう説明が成り立ちます。
すなわち、後遺症が残った(障害がある)→ 体が動かしづらくなった → 働きづらくなった → 労働能力が落ちる → 収入が落ちる → だからこそ収入減の部分を賠償する必要がある、と考えるのが賠償実務の鉄則です。これは、事故によって後遺症が発生した、ということを念頭にしています。
ただ、従来から、【障害がある → 収入が低くなる】という部分だけが切り取られて、事故とは関係のない障害あるいは先天性障害ある人の収入についても、同じように考えてきた。私も含め加害者側代理人弁護士となれば、そのような反論をしてきたし、裁判例にもそのような考え方は多くあります。
だからこそ、地裁は、そのお子さんの将来の可能性を認めながらも、一般より平均収入は落ちるよねということで85%(=15%減)とする、という判断になった。
Q なるほど。そうすると、大阪高裁はその考え方をひっくり返したんですね?
A そういうことです。原則と例外をひっくり返したんです。最初から収入減という考え方を取るべきではない。原則、障害があろうがなかろうが、子供たちはみんな一緒。夢があります。努力もする。親もがんばる。だからこそ、子どもにはいろんな可能性があるはず。
それが原則論でしょうよ、ということです。