【ご相談内容】
死んだ父親の財産をめぐって兄弟間でトラブっています。早い話、父親の晩年、私が尽きっきりで父親の面倒を見ていたのに、そんなことお構いなしに、平等に分配しよう!という話が出ているのです。以前、ラジオで“必死になって介護しても相続分は無い”という話を聞いたのですが、私もやっぱりそうなってしまうのでしょうか?
A 以前にお話しした内容は、ご相談者がそもそも相続人ではなかったケースです。今回とは事情が違いますね。
今回について言えば、普通なら民法という法律に従って、兄弟間で頭割りで平等に相続するのでしょうが、家庭関係によっては、形式的に頭割りをすること、それでは逆に不公平だという場合があります。
父親の面倒を見てきた、それに伴って自分の貯金は消えていったし、或いは時間や労力を使ったとか、自分の妻を介護に巻き込んでしまったというケースの場合、やはり、その分だけ、多めに財産を貰いたいというのが人の気持ちでしょう。これを、亡くなった人に貢献したということで、寄与分といいます。
Q 一生懸命父親の面倒を見てきたとはいっても、それをどうやって、財産を振り分ける段階で決めていくのですか?とりわけ様々な介護費用に自分のお金を使っていない限り、いわば、《無償の愛の形》とも言えそうですが?
A この点は、実務上、一応の基準というのがあります。現在介護保険制度があるわけですが、その介護保険制度における介護報酬、つまり、訪問介護とかデイケアとかいろいろな介護保険サービスをいろんな事業者が展開していますが、その事業者に支払われる介護報酬額を一つの目安にするんです。
Q 介護業者への支払額ともなると、なんだかすごくお金がかかるイメージですね?
A 介護保険法上の介護報酬というのは、《有償を前提とした介護サービス》への対価であり、利潤というのも含んでいると考えれば、《無償の愛》を前提とする親族が行う介護の対価とはちょっと趣が違う。低めになるでしょう。ただし、最終的にどの程度の寄与分、つまり財産の上乗せを認めるかは、裁判所の考え方次第なので、自分が思ったとおりの評価にならない可能性があることは知っておくと良いと思います。
文責 弁護士 和田 拓郎